「ガラッテイ賞」を受賞して

 服部政一 美惠子(文責 美惠子) 

 息子の米国ルイジアナ州における射殺事件から10年。思いもかけない大きな賞を受賞し、支えていただいたAFSボランテイアの方々に深く感謝をしています。

 生前、息子は、AFS派遣奨学生質問用紙に「どの国へ行くにしてもその国を第二の故郷と呼べるようになれば素晴らしい。」と書き残していました。この言葉は私達にとって聖書の一節のようなものです。ともすれば憎しみに傾きがちな気持ちを理性的な平常心に立ち返らせ、息子の死を無駄にしないためには、米国の人達と心を通わせ、銃暴力で人権が侵されることの無い社会を共に築いていくことだと指針を与えてくれるのです。

 受賞式ではポールシェイAFS国際本部会長とビクターオポルトAFS国際本部理事長からメッセージをいただきました。その中で

YOSHI基金」や「日本ルイジアナ友好基金」(ルイジアナ州の高校生と日本の高校生の短期交換留学支援)活動のみならず、「Yoshi’s Gift賞基金」プロジェクトも評価していただいていることを知り大変嬉しく思いました。なぜなら、初めの2つの基金はAFSプログラムの延長線上にある異文化理解支援の基金ですが、「Yoshi’s Gift賞基金」プロジェクトは、銃汚染の進む米国に異議を唱え、銃規制強化をもとめるものだからです。今回の受賞で、世界のAFSボランテイアの方々に私達の活動を、まるごと受入れていただけたという自信は、今後の活動の大きな支えとなるでしょう。

 この10年あまりの年月の中、AFSの唱える異文化理解活動の素晴らしさを実感した2つのエピソードをお話させてください。

 1つ目は、夫が事件直後、新聞社の記者に「交換留学に打撃があったかもしれないが、息子剛丈(よしひろ)の意志を尊重すれば逆に留学制度を広げて欲しいと思う。」と語ったことです。私達家族は、事件以前、1987年から1988年にわたり、米国のミネソタ州出身の女子高生を1年間ホームステイさせました。そして娘の祥子もAFS短期派遣生として米国ペンシルベニア州へ留学しています。異文化の人を家族の一員として受け入れ、逆に家族の一人を異文化の国へ送り出す体験を通じて、異文化理解活動の素晴らしさを実感していたからこそ、息子の死をもってしても躊躇することなくあのように発言できたのだと思います。

 二つ目は私(美惠子)のものです。昨年10月、私は、報道関係者と共に米国各地を訪問する機会を得ました。ルイジアナ州訪問でのことです。息子のホームステイ先だったヘイメーカー家に、日本ルイジアナ友好基金で来日した顔なじみの若者達が、少し大人になった顔で、ぞくぞくと集まってくれ、「こんなにも多くの懐かしい人達がルイジアナにはいる。」と胸を熱くしました。事件後数年、息子が射殺された土地ルイジアナというイメージを払拭することは、私にとって容易なことではありませんでした。しかしルイジアナからの学生達を迎え入れ、日本の学生達を送り出す年月を重ねるうち、心のしこりが次第に氷解していきました。今は、銃文化を持つ人々の住む土地ではあるが、懐かしい人々の住む所でもある、そんなふうに考えられるようになりました。そして来日した学生達、それらの学生達に感化された人達がきっとルイジアナから米国を変えていく核になると信じています。

 争いの絶えない世界情勢ですが、異文化交流はそれを解決していく最良の道という実感を大切に、これからも皆さんのご協力をえながら活動を続けていこうと思います。